南の小言

100年健康を作るPTの日常

何をもって共生社会と呼ぶか

共生社会の実現には、障がい者と健常者の相互理解や協力を必要不可欠です。現在少しずつですが民間企業や政府の様々な取り組みにより障がい者でも過ごしやすい世の中になってきています。

 

それ自体は非常に良い傾向ですが、最近問題になっているのが障がい社員の中でも車椅子利用者の一方的な要求の投げかけです。具体的には「全ての飲食店の机の高さを車椅子利用者でも使いやすい高さにすべきだ」「車椅子利用者でも手が届くように商品を配置すべきだ」「車椅子利用者でも通ることができるように店内の通路幅を広げるべきだ」といった内容です。もちろん主張していることは正しいことだと思いますし、店側もできるだけ配慮すべきだとは思います。

 

しかし、こうした取り組みができていない店をSNSで晒し、あたかも障がい者全体の意見のように声明を出す。自称障がい者インフルエンサーが増えています。

 

障がい者への配慮は大切なことですが、障がい者側が「こうしていないのはおかしい」「こうあるべきだ」という意見を店側の事情を考えずに発信している現状。果たしてこれを共生社会と呼ぶのでしょうか。

 

障がいの有無に限らず全ての人の尊厳が守られる社会を共生社会と呼びますが、叶えるには当然障がい者側の現状への理解も必要です。いくら障がいを持っているとはいえ、行きすぎた要求は単なるクレーマーと相違がなくなってしまいます。

 

店内の通路が狭い、商品位置が高い等は立地や店の売上面の都合上仕方のないことかもしれません。そういった都合を考えずに悪評ばかりを発信していると、店側は必要以上に障がい者への配慮が求められてしまいますし、文句を言っていない障がい者まで生きづらくなります。

 

私も仕事柄障がいを持っている方と関わることがたくさんありますが、誰1人として一方的な主張をする人はいません。「こうなってたらいいのにな〜」と言った話を聞くことはありますが、大体は「でも仕方ないよね」という結論に落ち着きます。

 

弊社は金沢市唯一の共生社会推進事業者認定を受けている訪問看護ステーションであり、その中でも私はそれに纏わる研修を全て受けています。だからこそ言えること、それは「障がい者インフルエンサーの活動はその他の障がい者の首を絞め、共生社会実現の足枷となっている」

 

共生社会を叶えるために強制社会を作ってはいけません。共生社会は相互理解の元で成り立つものです。

 

撮り鉄も良い例です。一部のマナーが悪い撮り鉄の影響で「撮り鉄はマナーが悪い」と全体のイメージとして捉えられてしまうことが良くあります。

 

一部の障がい者インフルエンサーの影響で、共生社会の実現から遠退いていることに気付いているのでしょうか。

 

こんな時代ですから、より一層自分の発信内容には責任を持たなければいけませんね。

 

障がいを持つ方と毎日寄り添った仕事をしている私からすれば、非常に腹立たしい出来事でした。